ナナリー・ヴィ・ブリタニア。現ブリタニア暫定代表である。
 まだ成人にも満たぬその年で、その位に就いたことには理由がある。父と兄を歴代皇帝に持つ彼女の経歴はそう簡単に語れるものでも、理解できる訳でもない。

 かつて彼女の兄は、弟妹(きょうだい)を失った。騎士団から見放され、庇う友人を遠ざけ、共犯者は記憶を失った。何もかも失った。そして彼が成したことは。……。
 彼女はそれを兄の今際に知った。

 ナナリーは、家族を失った。異母姉であるコーネリアや異母兄であるシュナイゼルは、血縁者でこそあるが随分と疎遠になってしまっている。実際の距離の話では無い。軍事や政治といった専門分野を持つ人間より、全てを総括的に判断できるナナリーの方が代表に向いていると言ってくれたのは彼女たちであるが、国家体制の復興に力を注いでいる所為か、実際は近くにいても、血を分けた兄妹姉妹として話をすることは殆どなかった。
 考えてみれば、その人間関係はナナリーの記憶する限り余り変わってはいない。
 彼女が継承者争いの皇族の生まれであること、それ故になかよしこよしという生ぬるい状況では無かったこと。とりわけ彼女の母親が騎士侯という名の庶民の出であったこと。そして殺されてしまったこと。
彼女たちは人質同然に日本に送られ、それから身を隠して生きてきた。
 だからコーネリアやシュナイゼルとの希薄な関係は取り上げるようなことではない。
 だが、彼女がそんなことを思ってしまうのは、きっと最愛の兄を失ったから。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。彼女の実兄で、帝国最後の皇帝である。日本敗戦後はルルーシュ・ランペルージと名乗っていた彼は、反ブリタニア最大組織・黒の騎士団の長でもあった。ゼロ。その名は、記号は、英雄の代名詞となっている。
 兄がゼロであると聞かされ、何が何だか分からなくなった。どうしてそんな力を使って。そんなこと頼んではいないのに。彼女が信じてきた兄に裏切られた気分だった。

――――だが、裏切っていたのは兄では無く自分だったのではないか。

 ナナリーは知っていた。兄が祖国を憎み、父親でもある皇帝を殺したい程に恨んでいると。
クロヴィスが殺害されたというニュースの数日前から様子が違うと思っていた。家を空けるようになったのはそれからだ。
 だがそれを訊ねることは出来なかった。話してくれるのを待っていた、と言えば聞こえはいいが本音を言えば兄に、ルルーシュに嫌われることが怖かったのだ。たったひとりの肉親であるが故に、愛されている守られているという自覚があるが故に、それが無くなってしまうことが怖くてその部分は腫れもの以上に触れないようにしてきた。理想の妹を演じてきた。
 そしてそれは、彼女が皇族に復帰してからもそうだった。
エリア11に総督として赴任し、その補佐に付いたスザクは兄について何も言わなかった。それは総督とその補佐という関係ということ以上に、それ自体を疎んじているようでさえあった。スザクが何か隠し事をしていることをナナリーは知っていた。
 それにゼロは、総督としてのナナリーに手を貸してくれた。エリア11の労働基準法の改正は、あらゆる身分の人間から話を聞き判断してのことだが、ゼロの意見を参考にした部分が多い。いくらあらゆる身分の人間から話を聞くと言っても、テロリストで国外追放までした彼が協力してくれることなどまず考えられない。当時のナナリーもそれを自覚してはいたが、今思えばそれは兄がゼロだったと気付ける部分であったのではないか。

 振り返ってみれば、そんな部分は山ほどありそれに気付く度に胸が痛む。だがそれを悔いたところで、ルルーシュが戻ってくるわけでも、時間が戻るわけでも無い。それでもナナリーはそれを後悔せずには居られなかった。どうして最期まで兄の重荷にしかなれなかったのだろう。たくさんのものを貰ったのに、今の世界でさえも兄がもたらしたものなのに、どうして自分は与え返すことが出来なかったのだろう。悪魔や卑怯という言葉で罵ることしか出来なかったのだろう。お兄さま愛してます、と何故臨終にしか言ってやれなかったのだろう。
 彼女は兄のことを思い出して、枕を濡らす。翌日眼が腫れてしまって、侍女が化粧で必死に隠しているのは1度や2度のことではない。
侍女はその理由を尋ねたりはしない。周囲の者でさえ気付いてもそれを質したりはしない。理由は大よそ察しているから――――いや。彼女の周りには、以前親しかった人間は誰一人残っていないからかもしれない。
 血縁者は勿論、多くの季節を過ごした学園の知人やアーニャやスザクでさえ。
 だが、ルルーシュはそれ以上に――――

*

 あと四半刻ほどで到着すると連絡が入って、ナナリーは大きく深呼吸をした。本国を出発してから随分と時間は経つが、それにしてもその数は大きかった。もう何度呼吸を整えたか覚えていない。
 新横浜空港では、日本の首相が出迎えてくれると言うから、直にゼロやシュナイゼルもこの部屋に来るだろう。ナナリーに気を使わせないようにとプライベートルームを用意し、彼らは彼女をそっとしておいてくれた。彼らは本来ブリタニア側の人間では無いのだが、超合集国評議会がゼロの立ち合いを求める宣言を発表したのだ。まるで円卓のテーブルに平等に座ることを促すように。

 かつて兄は、唯一の友に言った。
 これで人々は話し合いと言う名のテーブルにつくことが出来る、明日を迎えることが出来る、と。

―――――お兄さま。これがお兄さまの描いた明日なのですね。

 否定しか出来なかった。足枷でしか無かった。
 けれど、もし兄が自分を赦してくれると言うのなら。
 兄の描いた世界を。優しい世界を……

「ナナリー?」

 名を呼ばれて、ナナリーははっと我に返った。声のした方を振り向くとゼロと、それに付き従うようにシュナイゼルが立っていた。どうやら知らずのうちに考え耽っていたらしい。
「飛行機で少し酔ってしまったかな?大丈夫かい?」
 シュナイゼルは少々心配そうな形相を浮かべる。ナナリーの傍に寄ると視線を彼女に合わせて、そう訊ねた。
「大丈夫です、シュナイゼルお兄さま」
 唇を綻ばせるように努めながら、ナナリーは言葉を紡ぐ。私情をこれからの交渉に持ち込んではいけない。
「では参りましょう。外では既に首相がお待ち、と」
 ナナリーの車椅子が動き出す。それに思わず視線を上げれば、そこには彼が居た。
―――――一瞬、兄と重なった。
 先ほどまで兄のことを考えていたからだろうか。車椅子の押しかた、届く声の距離。まるでルルーシュが押しているようだった。だがその幻覚は、ナナリー殿下?と言う先の義兄とは違う、だがやや憂慮を乗せた声音で遮られた。
 ゼロが誰なのかを考えれば、なんてことは無い。似ていて当然だ。
「――いえ、何でもありません」
 独り善がりの落胆の溜息は胸に仕舞い、ナナリーは前を向いた。ゼロはそれ以上何も訊ねては来なかった。

――――お兄さまも私の背中を押してくれるのですか。

「よろしくお願いしますね、ゼロ」
 その仮面の下を知ってはいても、言うことはしない。兄のことを公の場で擁護することはしない。
 それが兄の願いなら。

 だから、俺を許すななんて言わないでください。せめて胸中だけでは愛していると言わせてください。
 役目は果たして見せますから。


ゼロレクイエムから3ヶ月後、有史に残る正常化交渉が始まる―――


END