かの皇帝ルルーシュの経歴もそうだが、彼のような経歴を持つ人間もそういるまい。 植民エリアの代理執政官から皇帝の側近まで。それだけを聞けば単純な出世街道のように思えるが、それに至るまでの経緯はまさに紆余曲折と言う言葉が相応しい。そのような点に関して言えば、ナイトオブゼロ・枢木スザクの方が異例の早さではあるが登竜門を上っているといえる。 そしてその彼が今何をしているかと言うと、首都から遠く離れた田舎でオレンジ畑を耕しているのだから不思議な話だ。オレンジ――それは冤罪と屈辱の名。かつて一兵卒からやり直すか否か、その時もう一つの可能性として提示された選択肢。だがそれは文字通り昔の話だ。彼がここにいるのは誰に強制された訳でも無い、彼自身が選んだ道だ。 今の彼にとってその名は汚名でも無ければ恥辱のそれでもない。と言うより寧ろ、ゼロレクイエムと言う大業を成し遂げて逝ったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアから授かったその名は栄名に近いものなのかもしれない。 ジェレミア・ゴットバルト―――悪政に満ちた最後の皇帝の行動の裏に隠された本当の意味を知る数少ない人物である。 ゼロレクイエム。それは真実が語られることのない永遠の物語。 * 数週間行方を暗ましていた少年が帰還早々言った言葉はさぞかし不可解なものだっただろう。 些か冗談が過ぎるのでは無いか――我が身に変えてでも護持すると決めた己の主の前で口には出さなかったが、彼がそう思ったのは事実だ。まさか隣に立つ男に誑かされたのではないかと思わせるほどに。 それほどに、ルルーシュの言葉は造作なく御意と応えられるものでは無かったのだ。 だからジェレミアは、ルルーシュの前で膝を折って帰還の喜悦と寿ぎの言葉を述べたあと、じろりとその男を睨んだ。かつて仮面の男に向けた憎悪の感情とは違うそれで。 名は知っている。枢木スザク。帝国最強の騎士の7番目の席次。…つまるところルルーシュの敵。 再度ルルーシュに視線を向けて、僭越ながら―――と前置きして言葉を紡ぐ。 間接的な言い回しだが、皇族の中でも1,2を争うほど頭の回るルルーシュは彼の思うところを瞬時に読み取ったようだった。 「私が他人に嗾けられる人間とでも?」 斜め上から降ってくるその声は僅かに不快だと醸していて。回りくどい表現ではあったが主を疑ってしまったことを心から詫びた。だからと言って鵜呑みになど出来無いのだが。 「…しかしまぁ、妥当と言えば妥当だな」 その言葉は、先よりも明るさを帯びたものだった。ゆっくりと視線を上げれば、ルルーシュは右手を顎に当てて彼の言動に納得したような笑みを浮かべていた。 「スザクに手を貸せなどと今までの俺が言うのは可笑しな話だからな」 今度は苦笑して、近くの椅子に腰を下ろす。上層身分らしくゆったりと足を組んで、だがどこか優しい声で強制はしないと前置きして、彼は淡々と計画の全てを語った。 その最終章の名は、ゼロ・レクイエム。 伝説の騎士に引けを取らないほど主に忠実な騎士が、全容を語られたところでおいそれと首を縦に振る筈が無かった。勿論、ルルーシュとスザクからしてもそれは想定のうちだ。事実、先の2人にも(特にひとりに)相当渋られた。しかしだからと言って彼らは計画を変えることは出来ない。そんなつもりも毛頭無い。 「危険なことだ。その一方で個人が得る利益は無い」 今まで戦場を駆け抜けてきた戦人に危険などと言う言葉は遅すぎるが、しかし今までの戦とは格が違う。掲げる目的が違う。たとえ裏に隠されて見えないとしても、その目的のために駒を動かすのだから話は同じだ。 無論、計画後の身の安全は確保するつもりだ。全ては皇帝ルルーシュに脅迫恐嚇され無理強いさせられたこと。そのためのミッションも組み込まれている。 しかし、これはそれらのこと以上に理性の問題でもある。 世界に明日を与えるとはいえ、彼らが成そうとしていることは人殺しだ。虐殺という言葉の方が近いかもしれない。人はそれを大量殺戮という。 ましてやその計画の結末を聞かされては、猶更。 騎士とは主につき従うもの。それは時に主を補佐し、時に主を守る存在。たとえそれが主の命令だとしても主人を殺す計画に協力しろ、なんて。 全く何の冗談だ。 これがルルーシュの前でなかったら恐らくそんなことを言って笑い飛ばしていただろう。だがルルーシュとスザクが至極真面目に語った様子が、それが遊び言葉ではないと物語っている。 「他に方法は」 「無い」 即答。ルルーシュはゆっくりと長い瞼を閉じた。 ナナリーのため、自分の大切な人のため、そして世界のため。延いてはそれが自分のためになる。計画の結末が、彼の本当の真意ではないとジェレミアは思う。 だが。 「それがルルーシュ様のご所懐で?」 「そうだ」 嘘。いや、それとは少し違う。 恐らくこれはルルーシュの意志であり、意志ではない。 成すべきことと成し遂げたいことは、残酷なほどに異なり擦れ違う。 成し遂げられるのかと訊ねれば、恐らく彼は言うのだろう。成し遂げなければならない――――或いは。 彼となら成すことができると。 「行け、仮面の騎士よ」 かつては恨み、憎んでいたであろう紺色のマントを羽織った英雄に扮した彼にそう呟く。 聞こえてはいないだろう。それでいい。肩に足を掛けて駆け上っていた彼は力強かった。 彼もまた、主の意志を継いでいるのだから。 * 熟れたオレンジの収穫作業の際に聞き流していたのは、とあるラジオ番組だった。 その番組も局も、選んだことに深い意味は無い。強いて言えば、こんな片田舎でも聞こえが良いからだ。他局と異なり、娯楽と言うよりは報道の色彩が濃いのが特徴だが、ジェレミアはそれも悪くないと思っている。都会からこれほど離れていれば、かつてのように情報は流れてこない。 丁度、その報道番組はブリタニアと日本の国交正常化交渉について取り上げていた。 皇帝崩御による帝国崩壊から3カ月後に行われた、ナナリー暫定代表と日本国首相との会談の際から言われていたことだが、国交正常化交渉は随分と難航している。あれから何度か面会の機会が設けられたにも関わらず、文書の発効どころか合意にさえ至っていない。日本国内はもちろん、ブリタニア本国内でさえ異論は根強い。 番組は、繊細で難しい問題にも触れた。サクラダイトと言う資源で対立した背景、かつての宗主国と植民地と言う関係、そして。 かつて時の皇帝が、日本を直轄領とした問題。 それらに対する謝罪、賠償問題等、両国が手を取り合う壁は厚い。とりわけ旧帝国の直轄領とされたことは、日本にとって植民エリアに組み込まれた以上の屈辱だと口にする人間は多い。 長い目で見れば、日本が時の皇帝――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアによって皇帝直轄領にされていた期間は短い。というより、空前絶後の悪逆皇帝だと罵られるが、彼の在位そのものが僅かな期間なのだ。しかしそれとは相反して、彼が世界を恐怖という形に変えてしまったという印象は大きい。世界統一をひとりの皇帝が成し遂げた点で、全ての権力を恣にした点で、皇帝ルルーシュは語られていくだろう。彼が明日を願ったという真実とは相反して。 誰よりも明日が欲しかった彼が、自分のそれを捨てて叶えた「明日」に生きていると思うと自然と口元は引き締まる。決してそれは軍人時代のジェレミアからすれば、全く不自然なものではないのだが、当時の彼と接点が無かったアーニャには少し不思議に映ったようだ。 然して音量は大きくは無いが、アーニャにもそれは聞こえている。首を傾げて、ジェレミアを見た。 だが、彼にはアーニャが映っていないのだろう。自分がそんな顔をしているとは気付いていないのだろう。オレンジ畑を耕し始めた頃と比べて随分と柔らかくなったその表情が、それを知るアーニャからすれば苦々しいそれにも見えたことには気づいていないのだろう。 「ルルーシュは本当に、悪?」 収穫したオレンジをトラクターに積み込む際、不意にアーニャは訊ねた。 彼を皇帝とも他の侮蔑の形容をつけずに称するそれは久しぶりに聞いた。先のラジオ番組のような報道の人間にしろ一般の人間にしろ、第99代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアのことを話す際は何かしらの形容をつける。その大半は蔑みのそれだ。ゼロであり、ルルーシュの本当の願いを知るスザクでさえ、メディアを介して彼を表現する時はそうだ。だから、その問いに加えてジェレミアは少し驚いてしまった。 アーニャは長い間記憶の欠落に悩まされ、人の記憶を信じてこなかったのだ。メディアのそれが、必ずしもアーニャの記録するルルーシュ像と一致するとは限らない。 否、一致しないからこそそんなことを訊ねてきたのだろうか。とジェレミアは思う。 しかしここはペンドラゴンから遠く離れた田舎町で、情報と言う情報が余り入らない環境なのだ。それを抜きにしてもアーニャが訊ねてきても不思議はない。 「どうしてそう思う?」 返答まで少し時間がかかったと思ったが、逆に問い返してやった。ジェレミアに問いの答えが無いわけではない。 ルルーシュは悪であり、悪ではない。 哲学を語っているように聞こえるかもしれないが、それがジェレミアの答えだ。 「あなたの顔。ラジオ。ブリタニアと日本の正常化交渉」 要するに顔に出ていたと言うことだ。ジェレミアは漸くその事実に気がつく。 ルルーシュの本当の願いを知る騎士としたことが情けない。 だが、そうであるならば、的確に答えることは可能だ。 「それは個人の判断による。君がそう思うのならば悪なんだろう」 ルルーシュの願いは世界が明日を求めること。良くなろうと努力しようとすること。 決して自分の願いが知られることがないこと。 しかしそれは、人の意思を固定させたり、統一を強制するものではない。 ルルーシュは誰かがそれを操るようなことがあってはならないと言ったが、ルルーシュの評価においてもそれは同じではないだろうか。 だからルルーシュを悪だと思わない人がいてもいい。彼の願いを知らなくても、彼の理解者となった人がいてもいい。 皇帝ルルーシュが全世界の実権を握り世界に成したことは悪かもしれないが、皇帝の仮面を被ったルルーシュの意思は、思惑は、悪ではない。 「異なる時代を生きるとは、そういうことだ」 収穫物が落ちないように柵を付け、そう言って運転席へ回り込む。アーニャがこれ以上何かを訊ねてくるとは思えなかったが、ともすればジェレミア自身が饒舌になってしまいそうだった。 ジェレミアは決して己の主を庇いはしない。その答えを貫き通すだろう。 最期のコールが響くその日まで。生涯、ずっと。 |