FULLMETAL ALCHEMIST Roy x Riza Novels-01.



 晴天と言う言葉が相応しいイーストシティの天候とは相反して、司令部の執務室からは、穏やかならぬ声が聞こえていた。
 リザは自分の声量が大きいことに気付き、落ち着きを払うべく深呼吸した。
 だが、残念ながら、感情だけは抑えることが出来なかった。何の前触れも相談もなく、ひとりで決めてしまったことに憤りを感じていた。
 いや、正しくは「哀しみ」と言うべきかもしれない。
 そんな彼女をよそに、抗議を受けてもロイはあっけらかんとした顔をしている。まるで、日常茶飯事の事件が起きたことを耳にしたような。
「―――本当なのですか、大佐」
 くだんの彼女より声音が低いのは、無理矢理自分を落ちつけているからだろう。
 彼女の表情が、何よりそれを雄弁に物語っている。
「嘘を言ってどうする?私は正気だ」
「しかし…何故、今――」
 ロイが合わせてきた視線を、リザは居た堪れなくて逸らしてしまう。彼女らしからぬことだが、彼女の心境を思えば、それも仕方のないことだった。
 先刻、ロイがリザに言ったことは、東方内乱に参加する、と言うことだ。
 東方と言っても、イーストシティからは遠く離れた田舎の地域で――だが、直ぐに鎮圧されると思われていたその内乱は、長期戦を強いられている。
 状況を芳しくないと思った軍上層部は、先日増派を決定したのだ。
 しかしそれは、かの内戦のように、国家錬金術師が強制出兵されるまでには至ってない。
 勿論、国家錬金術師とて軍人なのだから、志願することは可能だ。だがそれは言い換えれば、前線突破に自ら赴かなければならないということだ。
 本人の意思はどうであれ、イシュヴァールの英雄として名高い彼は、当然それを強いられることになる。  ロイもリザも、イシュヴァールを知っている。その痛みを知っていてもなお、志願するのか。
 彼女がそのように思っても、仕方のないことである。
 リザの表情に、ロイは微苦笑を浮かべた。
 渋られるとは思っていたが、流石にその様子を目の当たりにすると、予想以上に辛いものがあった。
「―――話すと長い。…今夜、私の家に来てくれるか?」
 顔を上げたリザが見た上官の表情は、少しだけ哀しそうに見えた。

*

 茜空の下を歩いて、彼の自宅へ向かった。
 国家錬金術師にして佐官の最上位となればもっと良い住宅に住めるだろうに、彼の住む集合住宅は、士官であれば誰でも住めそうな場所だった。
 彼の家に来るのは初めてではないが、生活に不自由しなければそれで良いと以前彼は言っていた。
 女性好きと言われるが、それは彼の見せる顔であっても、本質ではない。だから、飾る必要もないし、飾ってある必要もないのだ。
 促されるまま上官の部屋に入って、リビングの席に着いた。
 リザ自身も人のことを言える立場ではないが、殺風景なものだ。
「何か食べるか?」
 部屋の明かりをつけてそう訊ねてきたロイの申し出を、リザは丁重に断った。
 上官の家に上がり込んで何かをご馳走になるなど不敬極まりない――と言うよりも、食べ物が喉を通ってくれそうになかったのだ。
 東方内乱と言う言葉が脳裏から離れない。
「――そうか。ならばお茶だけでも出そう」
 彼がそう言ったので、手伝おうとリザは席を立ったが、直ぐに制止された。
 客人だからと言われると、引き下がるしかない。
 そして改めて周囲を見ると、考えてしまうことがある。
 これほどに無風流なのは、暫く家を開けるつもりだからではないかと。
「すまない、ミルクを切らしている」
「お構いなく」
 ロイが紅茶を運んできて詫びるものだから、リザは小さく頭を振ってそう言った。
 砂糖を少し入れて、掻き混ぜて口に運ぶ。少しは気も紛れてくれるかと思ったが、案外そうでもなかった。
 カップを受け皿に戻して、リザは問う。
「―――先ほどの言葉を撤回するつもりはありませんか」
 突然、口火を切られたそれに、ロイは全く驚いた様子を見せなかった。恐らくは、想定していたのだろう。
「ないな」
 はっきりと即答に、リザは目を伏せる。やはり、彼とまともに視線を合わせることは出来なかった。
「貴方はイシュヴァールを知っている筈です」
「あぁ。忘れることはないだろうな」
「だったら何故…っ」
 知らぬ間に目頭に涙が溜まっていて、リザは驚く。声も擦れていたから、付き合いの長いロイには知られているのだろう。
 だが、ロイはリザにそれを指摘するつもりはさらさらないようで、リザは必死に涙を隠した。
「君には護りたいものがあるか」
 やっと平静を装って話せるようになった頃合いでロイが訊ねてきて、彼女はやはり知られていたと言うことを識る。
「前にもそんなことを訊ねられたことがありましたね」
 強がっているのは自覚していたが、そうでもしないと涙が零れそうだったから必死だった。
「――そうだったか」
 覚えているような調子だ。再度答えを求められているのだと悟り、リザは全く同じ答えを紡ぐ。
「守るべきもののためなら、私は迷うことなく引鉄を引きます」
 東部の小さな田舎町で、少女にも言った言葉だ。その時から、否、内戦が終わり、再び軍服に袖を通すと決めたときから、その覚悟はあった。
「それが己の心を傷つけると知っていても?」
「血の川を渡るのは私たちだけがすればいい」
 これは彼に言ったものだ。イシュヴァール戦後、軍に残ると決めた自分に彼が問うてきたときのそれ。
「同じことだ」
 ロイの言葉に、リザは顔を上げた。そこには揺るがない決意があった。
―――もう、止められないと思う。
 リザが再度視線を逸らすと、彼はカップを置いて、立ち上がった。
「来なさい。君に渡すものがある」


 彼が向かったのは隣の寝室だった。
 先ほど同様、中は極めて簡素なもので、あるのはベッドと本棚、机だけだ。
 上官が何のつもりで自分を寝室などに通したのか分からぬまま付いて行ったが、彼が真っ先に向かったのは、部屋奥にある机だった。
 机上には錬金術の専門書らしきものが何冊も置かれていて、彼は国家錬金術師なのだと再認識する。
 人間兵器。軍の狗。
 その職業を人々は揶揄してそう呼ぶ。
 ロイは、右側の一番上の引き出しを開けて何かを取りだした。その正体は、手のひらに乗せられて初めて知った。
 冷たい金属。独特の形。
「持っていてくれないか」
 誰の、とも、どこの、とも聞かずと分かるこの部屋の合い鍵だ。
 リザが、彼が鍵を渡した理由を分からない筈はない。
 知りたくなくても、否応なしに感覚が理解する。
 リザがロイの表情を見れば、彼は少し困ったように、窓に視線を投げて、こう言った。
「恐らく、長くなる」
 だが、行かないと言う選択肢はないのだろう。ロイはそれ以上語らなかった。
 彼がリザから目を逸らしたのは、これ以上彼女を見ていられなかったからだ。
 決意さえも揺らいでしまうから。
 傍に居たいと思ってしまうから。
「―――なぁ、リザ」
 勤務中は滅多に口にすることのないファーストネームで彼女を呼んで、ロイは続けた。
「戻ったら、私に預けてはくれないか?」

*

 気が付いたら、彼のベッドの上に居た。
 寝室は静まり返っていて、聞こえてくるのは鳥のさえずりだけだ。
 表の道は、馬車が通ることもままあるから、まだそのような時間では無いのだろう。
 リザの頭は、意外と冷静だった。

 昨晩のことは、彼がファーストネームで呼んだ直後辺りから殆ど覚えていない。
 記憶にあることと言えば、何度か唇を重ねたことくらいだ。その時の感情も、彼の表情も闇に葬られたようだ。不思議なことに、思い出そうとも思わなかった。
 そう、心の中では既に気付いているのだ。
 彼がもう、ここにはいないことを。


 それから、月日と言うものは目まぐるしく過ぎた。
 書類に追われ、視察に追われ、上官不在でも誰かが代理に就くことはなく、日々はただただ忙殺されていった。
――いや、正しくは、リザ自身がそう望んだのだ。
 彼のことを考えなくて済むように。
 否応なしに耳に入ってくるのは、泥沼化する東の内乱のことばかりだ。
「中尉?聞こえてます?」
 心配そうに覗き込んできた同僚の言葉で、リザはハッと我に返った。
 どうやら知らぬ間にぼうっとしていたらしい。上官不在で踏ん張らなければならないこの状況に及んでの己の間抜けっぷりに、心の中で自嘲する。
「ハボック少尉、どうかした?」
 平静を装ったつもりだったが、やはり彼くらいの付き合いとなると、大よそ真偽は分かるらしい。
 微苦笑して見せた彼を見て、見抜かれていると悟る。
 ハボックは、胸ポケットに手を突っ込んで、傍の壁に凭れ掛けた。窓を開ければ、いよいよ休憩モードだ。
「どうかしているのは中尉の方じゃないですか?」
 軽い口調に見えて、芯はしっかりしていることをリザは知っている。
「そう?」
 とぼけてみるが、そう簡単には誤魔化せない。
「…顔色悪いッスよ」
 煙草を咥えてライターをスタンバイ。
「風に当たってきたらどうですか?」
 彼が窓を開けるのは分かっていたが、素直に頷いて、屋上へ向かった。


 中央司令部には及ばないが、東方司令部の建物は周囲より高い。
 だから、晴れた日には、屋上から随分と遠くまで眺めることが出来る。
 あいにく今日は、完全な晴天ではなく、それは叶わない。
 晴れていても、内乱の戦況など分かる筈がないのに、溜息が出てしまう。
 だが、髪をなびかせる適度な風は心地よかった。
「ホークアイ中尉、でよかったかな?」
 ぼんやりと考え事をしていたところに、聞き覚えのある声が耳を打って、慌てて振り返った。
 キング・ブラッドレイ―――この国の大総統だ。
 周囲に護衛の姿が見えないとなると、どこから逃げ出してきたのかもしれない。そんな一面があるのだと、聞いたことがある。
 しかし、リザは大総統が東方司令部に来ると言う報告を受けた覚えはなく、だが、訊ねるのは不敬だと思ったので、ひとまず敬礼をして、
「遠路はるばるお疲れ様です」
と、長旅を労った。
 ブラッドレイが屋上に居たリザを咎める様子はない。
 彼女の言葉に、君も上官が居ないのに頑張っていると言う内容のそれを返した。
 焔の錬金術師の東方出兵は、大総統の耳にも届いているらしい。
「ところで、鋼の錬金術師をスカウトしたのは君だったかな?」
 突然のそれにリザは驚いたが、表情の変化は最小限に留めた。
「マスタング大佐と彼の故郷へ赴きました」
 やんわりと訂正したが、彼が戦地に居る今、ブラッドレイにとっては同じことだったらしい。
 リザに封筒を差し出してきた。
「鋼の錬金術師宛てだ。渡してくれるかね?」
 どういう事情か知らないが、それを訊ねる立場では無いので素直に受け取る。
「確かに、受け取りました」
「急ぎでは無い。彼が来た時にでも渡してくれたまえ」
 そう言い残すと、ブラッドレイは早々に去っていった…。

*

 エドワードをこの道に誘ったのはロイだが、彼らの近況を全て把握している訳ではない。
 兄は国家錬金術師と言う肩書を持ちながらも、弟と身体を元に戻すための旅をしている。
 たまには軍人らしいしろとロイが(面倒な)仕事を投げることはあるが、それは文字通り稀な話で、彼らも近くに来たから寄った、と言うレベルでしかない。
 だから、得られる情報は限られている。更に言えば、ロイとの間で話を済ませてしまうことが多く、あれこれこういうことがあったなどとリザ達まで下りてくることは少ない。
 最もそれが、彼らにとっても自分たちにとっても当然のことであるのは分かっているのだが、いかんせん、今のようになったときに対応出来ない。
 突然東に行った彼は、引き継ぎと言うものを一切していかなかったのだ。
 執務室に戻って訊ねてみても、やはり皆同じらしい。
 大総統直々のそれを放置しておくわけにもいかず、どうしたものかと考えていると、その日の帰り道、彼の弟に会った。
「アルフォンス君?」
 背後から確認するように声を掛ければ、少し驚いたような――鎧姿なので、飽くまで推測だが――様子で、彼は振りむいた。
「ホークアイ中尉!こんにちは」
 律儀に頭を下げる。彼はその姿になる前から礼儀正しかったのかもしれない、と思う。
「こんにちは。イーストシティに来ていたの?」
 訊ねれば、さっき着いて宿を探すところだと言う。明日にでも司令部に伺おうかと思っていたということも話してくれた。
「そう言えば、エドワード君は?」
 周囲を見ても、エドワードの姿は見当たらない。本人はとても気にしているようなので言いはしないが、それこそ鎧姿の弟に隠れて見えなかった、と言うこともあり得るのだ。
「え?に、兄さんは、えっと…」
 突然慌てる彼に少し驚いてしまう。
 特別、変わったことを聞いた訳ではない。
「宿探しにでも?」
 国家錬金術師は軍属であるので、公共施設は勿論、宿泊施設も格安に利用できる。研究費も支給されるし、逆に、彼らしか利用できない場所もある。
 考えられるのは、その類の図書館か、金融機関か、そんなところだ。
 時間が夕刻だという単純な理由でそう訊ねてみたのだが、アルフォンスはそうなんですと何度も頷いた。  少し妙だとは思ったが、深く訊ねるべきではないかと思い、あっさりと引き下がる。
「…そう。明日司令部に来るのなら、その時で良いのだけれど、預かり物があると伝えてくれるかしら?」
 場合によっては、直ぐに東を経つと言う可能性もあったので、念のため伝えておく。
 すると今度は、いつもの彼らしく、頷いた。
「じゃあ、また明日。大佐はいないけれど、みんな待ってるわ」
 彼女は強がったつもりだったが、その突然の涙に、アルフォンスはごめんなさいと頭を下げた。

*

「で?理由はなんだって?」
 市街地から離れ、人気が無くなったことを確認すると、エドワードは視線を斜め上に投げた。
 それは、もしかすると、睨むという表現が正しいかもしれない。
 地位も年齢も、何より身長が自分より上で、何かと噛みつくことが多いエドワードだが、今回ばかりはその類では無いらしい。
「見て分かるだろう、この有り様だ」
 彼からすれば随分と幼い少年からの視線をかわして、さらりと答えた。
「頭に包帯巻いてるようにしか見えないんだけどな」
 彼が軍服でないことを指摘はしなかった。国家錬金術師と言う括りから見れば、自分もそうであるように、軍服を纏う必要はないからだ。
 エドワードの投げやりな言葉は、ばかばかしいと一蹴したいような雰囲気を持っていた。
「昨日までは片腕もそうだった」
 そう言って、ひょいと右腕を上げて見せる。
 普通の人間なら分からないかもしれないが、右手が機械鎧のエドワードは、その動作がいかに辛いものか良く分かる。
 最も、そんなことを目の前の上官(一応)に言いはしない。だが、代わりに別のことを言ってやった。
「それが何で中尉に会わす顔が無い理由になるんだよ」
 偶然会ったエドワードとアルフォンスに、ロイは中尉には言うなと固く口止めした。
 エドワードはそこで、彼が東方内乱に参加したことを知った。だが、彼がそこまで頑なに口止めする理由が分からなかった。
「一緒じゃないなら、帰ってきたってひとこと言えば済む話じゃないのか」
 至極全うな論理である。
 分かっているのか黙り込むロイを見て、これだから大佐はとエドワードは仰々しく溜息を吐く。
 つまらぬ意地とは分かっていても、ロイは少し顔を顰めた。
 そんな彼を見て、エドワードが何かを言おうとしたその時。
「兄さーん!」
 と、呼びながら走ってくるのは、アルフォンスだ。アル!とエドワードも少し驚く。
「どうしたんだ?宿取っておくってお前…」
 言っていただろうと言う続きの言葉は、彼から出てくることはなかった。
 アルフォンスが耳打ちした内容で、その理由を正確に理解したのだ。
 何かをしでかしたような顔をした後は、じゃあなの一言で猛ダッシュである。
 その情報を知らせた張本人は、怪我と別れの言葉を外見に似合わず丁寧に言って、兄を追い掛けた。
 そんなことを言ったら彼は怒るが、随分とせっかちだと思う。
 小さくなる兄弟を目で追いながら、再び歩き出そうとして、左足を痛めていたことを思い出した。
 医者にはまだ早いと言われたのに、それをゴリ押しした自分は変わらないくらいのせっかちだとロイは思ったのだった。


「――――マスタング大佐、ですか」
 川沿いを歩いていてそろそろ戻ろうかと思っていた時分、不意に声を掛けられて、ロイは虚を突かれた。
 理由はそれだけではない。
 それが知っている――しかし、先の兄弟では無い――ものだったからだ。
 この季節にしては少し強い風が、散髪する暇もなく伸びてしまった髪を揺らす。
 あぁ、あの日もこんな茜空だったか、と思い出す。
「いかにも」
 そう言って、ゆっくりと振り返った。
「連絡が無いので、あなたの身に何かあったのかと――」
 ご無事で良かったです、と言う彼女の涙を、ロイはそっと周囲から隠した。
「君との約束を忘れるわけがないだろう?」
 二度と彼女を泣かせはしまいと、夕日に向かって誓ったのだった。

END

*POSTSCRIPT*
大幅改定。ベースは変わりませんが、細かく色々変わってます(笑)
書き直していて、キャラ違う!と正直思いました←書いた本人
詰めが甘いのはもう全力で見逃してください…orz
2005.01 / 2010.06