「―――大佐、今の話、お受けになるおつもりですか?」 出てきた部屋からある程度距離が離れたところで、リザは訊ねた。 本音を言えば、あの場で問い質したかったが、そこは理性でなんとかこらえた。 彼女が言っているのは他でもない、先ほど上官から言われた話だ。 昼は食事に出て揃って戻ってくると、その間に将軍が二人を訪ねてきたと言う報告を受けた。 上層部の時間感覚など理解するつもりもないが、緊急事態かと訊ねてみると、そういう訳ではないらしい。ハボックが不在の旨を伝えると、戻ったら報告だけするようにと言って、あっさりと帰って行ったらしい。見るからに厭味を言いに来たような単なる暇つぶしのようでさえあったと、主観的な感想も受けた。 「大体、緊要なことなら強制送還でしょうが」 「それもそうだな」 ハボックの指摘は最もだが、腑に落ちないことがあるのは確かだ。 「――私と中尉の二人を訪ねてきた。それで間違いはないんだな?」 ふたり、と言う部分を強調して聞いても肯定の返事が返ってきた。 妙な話だと思う。 三十路を待たずして大佐、国家錬金術師、イシュヴァールの英雄ともなれば、厭味のひとつでも言いたくなる上層部は多い。 生意気だ、身の程をわきまえろと思われているのだろうが、格段気になどしていない。 大体、イシュヴァールの英雄などと言ったらこれまた反感を買いそうだが、なりたくてなった訳ではないのだ。出来るならば返上したいくらいだ。 だが、気に入らない理由は理解できなくは無いので、仕事の一環だと思って聞き流すことにしている。 今回引っかかるのは、それが自分だけではなくリザも一緒だと言うことだった。 別件で呼ばれたついでにちくちく言われるのを隣で見ていたことはあるだろうが、流石に揃って呼び出されて直々にということは初めてだろう。 記憶を辿ってみても、非常事態以外に思い当る節は無い。 「分かった。早いに越したことは無いだろう。行くぞ、中尉」 執務室へ行けば、将軍は優雅にティータイム中だった。ハボックの証言は適切だったらしい。 お忙しいところ恐れ入りますと、口先だけでそんなことを言って、ロイは単刀直入に用件を訊ねた。 「君たちは近々階級がひとつ上がるらしい」 確定していない情報を提供してくれたことに対しては、一応、感謝すべきだろうか。 どうせ難癖でもつけたいのだろうと思って、内心溜息を吐いた。 「ただし、それには条件があってね」 「―――とおっしゃいますと?」 「君たちが昇進する代わりと言っては何だが、それぞれ地方に行って貰おうと言う話になっている」 つまりは、昇進したければ命令に従えと言うことだ。 承服できないのならば、階級は上げない、と。 このとき彼は、ひとつ勘違いをしていた。そういう意味では、今までは幸いだったと言うべきだろう。 「マスタング大佐は南方に、ホークアイ中尉には北方にとのことだ」 流石のロイも、耳を疑った。 慣れていないリザは猶更だっただろう。 「将軍!待って下さい、私は――」 続きは聞かなくとも分かった。 「中尉」 言うな、と視線とともに制止した。 落ち着きを払っている声音を作り、それに答える。 「前向きに検討させていただきます。…用件は以上でしょうか?まだ仕事が残っていますので、失礼いたします」 将軍にもリザにも有無を言わせず、一礼すると踵を返して執務室を出た。 「急な異動だ。仕方ない」 ロイは後ろを歩くリザを横目でちらりと見て、答えた。 そんな瞳をしなくても分かっている。上からの命令で派遣された訳ではなく、自ら彼女を推薦したと言うのに、今回の異動はおかしい。 仕方ないなどとリザには言ったが、腹の底では正反対だ。 「しかし――」 「中尉」 ロイは足を止めて、リザを振り返った。 「確かに君は私の副官だ。しかし、その副官と言う肩書に縛られることは無い」 「私はそれに縛られていると思ったことはありません」 知っている。だが、そうでも言わないと受け入れられないだろう。 そう思ったから、ロイはリザにわざと次のような言葉を返した。 「そういうのを縛られていると言うんだ。君は君の道を歩けばいい」 執務室に戻るロイに、リザは何も言えなかったのだった。 * 噂と言うものは、本当に回るのが早い。 昇進のそれは瞬く間に司令部中に広がり、憧憬と嫉妬の対象となった。 「昼に将軍たちが話してましたよ。裏金でも使っているのだろうって」 なんて話を拾ってくるハボックは、毛頭信じてなさそうだ。 「人の噂も七十五日。長くは続くまい」 一層増えた書類を不機嫌な顔でこなしながら、ロイは部下のゴシップに付き合う。 「受付の人たちが嘆いてましたよ。大佐の顔を見られないのは残念だって」 ブレダのそれに、ロイはちらりと顔を上げた。 受付と言えば、女性ばかりだからだ。 「それは私も同感だ」 最後まで目を通すと、さらさらとサインをしてブレダに手渡した。 銀時計を開けると、次の予定まで15分ほど。 あまり気は向かないが、軍議の時間だ。少し前まで直接関わっていた話だから、リザも参加するように言われている。 「中尉。そろそろ時間だ」 懐中時計をポケットに仕舞い、立ちあがって声を掛けたが、リザは返事をしなかった。 「中尉」 もう一度呼んでみるが、気付く様子は無い。 良く見れば、手も止まっている。 再度、今度は肩に手を掛けて言えば、やっと聞こえたようだ。 「1400から第3会議室で軍議―――違ったか?」 訊ねれば、一瞬考えた様子を見せて、はい、と頷いた。 それもどことなく上の空だったので、どうかしたか?と訊ねてみる。 「いえ、何でもありません。最後に資料の確認をお願いします」 言葉ではそう言ったものの、それを装っている自信はなかったのだった。 * 会議のあとも色々とあって、戻ってきたころには書類が溜まっていた。 異動までの残された日数を考えると、全てを明日に回す訳にもいかない。 そんなわけで、ロイとリザは揃って残業だった。 「あとどれくらい掛かりそうですか」 書類を受け取り、進捗状況を訊ねた。 リザの方は、粗方終わって、明日に回しても差し支えない程度だ。 夜勤のある部署には今から届けてくるが、残業で残っている部署はもう少ないだろう。 明日は非番では無いので、そろそろ帰った方が良いと思ったのだ。 「もう少し掛かりそうだ。――君は、終わったのか?」 頷けば、そうかと言う返事が返ってくる。 「なら先に帰ると良い。この調子だと明日も大忙しだ」 冗談のように口を叩く間も、さらさらとペンを走らせている。 目も紙の上に落とされたままだ。 「手伝います。大佐だけでは大変でしょう?」 だが、その申し出は丁重に断られた。 「気持ちは嬉しいが、君も疲れているだろう?帰った方がいい」 そうでなくても、近々異動なのだからと言われては、引き下がるしかない。 「―――お気遣いありがとうございます。異動は大佐も同じなのですから、無理なされませんよう」 果たして、胸中は同じだろうか? その答えは聞きたくなくて、リザは頭の隅から追い出した。 流石のロイも、彼女の哀しそうな顔に胸が痛んだ。 リザが帰りの身支度をして、執務室を出ようとしたその時、突然、明かりが消えた。 『停電!?』 彼らも動揺を隠せない。野営テントなどの即席なら兎も角、軍の基幹である司令部でこのようなことはまず起こり得ない。 どうしようかと思ったが、慌てたところで明かりが付く訳でもないので、目が慣れてきたところでリザは非常灯を探すことにした。 「これで暫くは良いだろう」 ロイが蝋燭に火を灯す。マッチを探す手間もなくそれが出来たのは、彼が焔の錬金術師だからだろう。 周囲が見えるだけでも幾らか気分は和らぐ。 夜も更け始めているので人数が少ないが、きっと何事かと騒ぎになっていることだろう。 停電に困惑して、非常電源に切り替えるどころの話ではないかもしれない。 「困惑しているかもしれません。少し様子を見てきます」 火を分けてもらって、階下に行くつもりだった。 だが、上官に腕を掴まれては非常灯を増やすことすら出来なかった。 「―――行くな」 低い、ひとりごとのような声。もしかしたら、彼は無意識に言っているのかもしれない。 「大、佐?」 「――――やはり最後まで君に冷たくは出来ないな」 今度は乾いた声で、己を嘲笑っていた。 「私情を持ちこむべきでないことは分かっている」 だが、到底受け入れられるものではなかったのだ。 それでも、上に行くためには必要なことだと思うことにしたが、最後まで無関心を装うことが出来なかった。 将軍に抗議したかったのは、寧ろロイの方だ。 自分が推薦した副官と別々の場所に飛ばされるのか――言葉でならいくらでも聞くが、それだけは耐えられなかった。 それに、リザの昇進を潰したくは無かった。 比較的若い年齢で副官に命じたのは自分だが、今回の話は、彼女の能力が買われてのことだ。 北には隣国と緊張関係が続いているとあって、強兵揃いだと聞く。銃の腕前だけではなく、他の能力も買われたのだろう。 だが、リザに対して感情を出せば、彼女は今回の話を辞退するだろうと思った。 君は優しいから。 「あなたは、何も感じていらっしゃらないのだと、思っていました」 「将軍に物言いたかったのは私の方だ。君が私にとってどれだけ必要か―――」 月明かりと蝋燭だけが彼らを照らしていた。 その蝋燭は、涙を流して。 END *POSTSCRIPT* 取り敢えずここで終了。 更改前は、2人の飛ばされる方角が逆だったりしました。 変えたのは、姉上の欲しい逸材が中尉だと思ったから(笑) …と言うことで(?)これの続きはこちらから。 2006.02 / 2010.06 |