「―――大佐」 背中を追いながら、リザは訊ねる。 将軍の執務室はすぐそこだ。 「言った通りだ。考え直すつもりはない」 扉の前で立ち止まり、ゆっくりと2度ノックする。間もなく了承を伝える声が聞こえてきたので、彼らは揃って部屋に入った。 『先日の異動の件ですが、今回は見送らせていただきます』 昇進辞退など異例中の異例だ。 加えて、彼らが揃って辞退するとは思わなかったのだろう。ロイの言葉に、将軍は酷く驚いていた。 「それは、昇進を断ると言うことになるが、分かっているかね?」 「承知しております」 昇進と異動がセットと言うことを忘れていないかと言う指摘だったのだが、ロイはあっさりと肯定した。 「私の働きを評価していただけたことは光栄に思います。ですが、私自身の未熟さを痛感しております。佐官から将官になる上では、更に経験が必要かと」 「…ホークアイ中尉は?」 不承不承ながらもロイの言葉に頷いて、リザに話を振った。 「はい。人事異動では無い時期に、名誉なことであると感じています。しかし、それはマスタング大佐の手腕であるところが大きいかと」 謙遜が軍部に必要か否かは分からないが、彼らは己の力不足を理由に辞退を申し出ているのだ。 望まないのならば、無理して昇進させる必要もあるまい。 昇進させたくないと言うのが本音だった将軍は、あとから文句を言われないために、更に問いかけた。 「未熟さの実感は向上心の裏返し。准将になってから経験を積むと言う選択肢は?」 * 金や権力以上に恐れられるものがある。 根も葉もない或いは真実の入り混じった情報だ。 それは世論を動かし、緘口令を敷いても、ゼロに戻すことは難しい。 そしてもうひとつ言えることは、簡単に加工されてしまうと言うことだ。 憶測や関係の無い事柄が関連付けられて、尾鰭がつく。 彼らのそれは受け入れられて引き継ぎの必要は無くなったが、多忙なことに変わりは無い。 ただ、そんなときだからこそ、ゴシップには乗りたくなるものである。 「大佐と中尉が昇進を見送ったって専らの噂ですよ」 「引き継ぎ作業の必要が無くなったんだ。当然だろう」 突然の人事異動と言われたそれが無くなったのだ。後任云々の話だけでなく、ロイが管轄の間に片づけておきたいと言ったことも、急ぐ必要性がなくなった。 「あとはその理由とか」 「理由?」 ロイは訝しげに、ハボックの顔を見た。 噂で流れる理由がまともだった試しがない。 「例えば、恋人のためだとか」 「――――ほう」 それが女性関係とあれば、乗らない手もないだろう。 ハボック達が自ら情報を流すとは思えないが、明言したと言う事実が重要なのだ。 根拠のない情報で太りきった魚は、渦中の本人の言葉で簡単に解体できる。 「南にも美しい女性は居ると聞くが?」 新たな関係を築くと言う選択肢は無いのか?と続いたそれは、一般的に、女性関係に対する自信に映る。 ハボックはそれに呆れながらも、いや、その相手の方が問題で、と続けた。 「なんだ、私の恋人だと言いだした輩がいるのか」 未熟さを理由に断った人物とは思えない、大した自信である。 ばかばかしいと一蹴するつもりで訊ねたのだが、ハボックは妙な顔をした。 「どうした?」 情報は、時に並行するそれと混同される。 「その恋人候補と言うのが中尉で」 ロイは思わず耳を疑った。 だが、それに驚いたのは彼だけでなく、執務室の扉の向こうで聞いてしまったリザも同じだった。 * 「大佐」 帰り支度の最中、リザに呼ばれてロイはそちらを向いた。 妙に深刻な顔をしていたから、少し驚いた。 「大佐にお話があります」 「話?」 どうしたんだ急に改まって、と言うことくらい許されただろう。 急用ならかしこまる必要は無いし、そうでないなら明日の朝だ。 彼女は気の利く優秀な人間だった。 「―――南に行ってください」 「何を」 言っているんだと続けることは出来なかった。 彼女らしくもなく、相手の言葉を遮った。 「私が南への異動願いを出します」 リザが真剣な瞳を向けてくるものだから、ロイはそれを制止した。 「あれは私の意志だ」 「昇進はあなたが望んでいたことでしょう」 彼には大総統の地位に就いて、国を変えると言う目的がある。 そのために、昇進を躊躇うなどあってはならない。 「否定はしない。―――噂を気にしているのか」 訊けば、肯定も否定もしなかった。普段は気にしないが、今回は内容が内容だけに気にしているのだろう。 「誰かを犠牲にするのはもうたくさんなんだ」 真っ直ぐに見据えて、ロイは静かに言った。 リザは、犠牲などと思ったことは無いと反論は出来なかった。 ヒューズ中佐の殺害事件は記憶に新しいからだ。 「今回を逃しても、上に昇る機会はいくらでもある。…付いてきてくれるか?」 自信ありげに笑って見せる。 それは決意と意志の証拠。 「その質問は愚問です」 その後の彼らがどのような道を歩くかは、もう少し先の話。 END *POSTSCRIPT* 漢詩『別れに贈る』が元ネタ。 飽くまで妄想と言うことと、あっても良いよなーみたいな軽いノリで読んでいただけたのなら、幸いです。 2005.06 / 2010.06 |