「ホークアイ中尉、終わったぞ」 数メートル向こうで机に向かっているリザに声を掛けた。 月はもう、真南に近い。 「お疲れ様です」 受け取って、簡単に記入箇所を確認する。最後には署名もちゃんとあって、リザはロイに提出してくると言う旨を告げて、踵を返す。 「これで、約束は守ってくれるんだろう?」 退出際に訊ねられて、リザは振り返る。 疲れを感じさせないその顔は、何かを企んでいるようにも見える。 「そんな約束しましたか?」 勤務時間はとっくに終わっているのだから、多少の会話も許されるだろう。 「中尉、それは無いだろう?終わったら付き合ってくれると言う約束だ」 後半は真顔になって言うから、少し笑ってしまった。 「冗談です。覚えていますよ。提出して来ますから、少し待っていただけますか?」 リザは足早に廊下を歩いた。 リザがロイと約束をしたのは2日前の話だ。 書類を机の両端にたんまりと貯めて、何を訊いてきたかと思えば、明後日の夜は空いているかと言うことだった。 太陽は東南の空だ。寝言は寝て言えとまでは言わないが、少なくとも勤務中に訊ねてくるような内容では無い。 夜勤でもない限り、夜は完全なプライベートだからだ。 「―――そんなことより、早く書類を片付けて頂きたいのですが」 無視してそう言えば、彼は少しむすっとした。 「中尉」 「今は勤務中ですよ、大佐?個人的なお話は、手が空いたときにお伺いします」 全く仕事が捗らない上官への皮肉のつもりだった。 流石のリザも、これだけ進捗しないと文句のひとつも言いたくなる。 「これが終われば、付き合ってくれるんだな?」 「検討しましょう」 その瞬間から、効率は格段に上がった。 今思えば、検討すると言っただけなのだが、どうやらそれは了承のサインと解釈されたらしい。どちらにしろ、帰宅して特にすることもないから構わないのだが。 彼にも気心の知れない人間が必要だろう。彼の親友はもう居ないのだから。 そんなことを考えながら廊下を歩いて執務室に戻ると、彼はもうすっかりと準備を整えていたようだった。 全く、少しはそれを実務に活かして欲しいと思う。 「―――それで、どちらに?」 コートを羽織りながら訊ねてみると、行けば分かるとだけ彼は言って、それ以外教えてはくれなかった。 初めは彼の自宅かと思っていたリザだが、途中から住宅街ではなく繁華街の方に向かったのでその可能性は消えた。 しかし、この時間に空いていると言えば、娼館か酒場のどちらかだ。前者なら当然摘発だろうから、書類仕事を終わらせてやるようなものではない。 残る可能性としては酒場だが、彼が誘うにしては珍しいなと思ったところで、ロイが足を止めた。 「ここだ」 見上げれば看板が目に入った。最近作られたものではないようので、店自体も長いのかもしれない。 ただ、雰囲気は、酒場と言うイメージとは少し違っていた。 確かにその側面はあるのだが、どちらかといえばレストランの趣が強い。バーカウンターはあるが、部屋の照明はバーにしては少し明るいだろう。宿屋を兼ねているのなら話は別だが、そこ特有の喧騒は見られない。 リザが辺りを観察する間にも、ロイはウエイターと軽くやりとりを交わしていたようだ。 案内された先は、部屋の奥、もしかするとちょっとした特別席のようなところだった。 訳のわからないまま、促されて座り、ウエイターが踵を返したところでリザはロイに笑われた。 「そんな難しい顔するな、仕事って訳じゃない」 難しい顔をしていたつもりは無いのだが、場違いな顔をしていたのは確かだと思う。 「それは承知していますが、一体どのようなおつもりで?」 訊ねたところで、さっきのウエイターが戻ってきた…と思ったが、来たのは先の従業員より年配の男だった。 「―――これは驚いた。確かに美人だ」 リザを見て感想を述べる。それを訊いたロイは、だから言っただろうと少し心外そうに言っていた。 「お前の美人の範囲は広い」 「半分は社交辞令だ」 そんなやりとりを見ると、旧知の仲のようだ。言葉をいつ訂正しようかと思っていると、男の方がリザの様子に気が付いて、手を差し出してきた。 遅れてしまったことを詫びて自己紹介。ついでにロイとは、中央に初めて赴任した時からの知り合いだったと教えてくれて、漸くリザは納得した。 リザも名乗って握手を交わす。すると彼が、ちゃん付けで呼んで、ロイは怒った。 「馴れ馴れしく呼ぶな」 不機嫌に怒る必要もないだろうにと思ったところで、それは収まらない。 「折角用意してやったのにその言い草はないだろう、大佐さんよ」 「ならば、提供するのが先だろう。リザが待っている」 リザの名前が出ると、それもそうだと合点した。 引いてきたカートから、くもりひとつないグラスをテーブルに置いて恭しく一礼した。 「今宵は特別な日と言うことで、こちらをご用意させていただきました」 ラベルを見た刹那、リザは驚いた。ロイを見ると微笑を浮かべていた。 「まさか、忘れていた訳ではあるまい?」 注がれるのを見ながら、ロイに訊ねられると少し困った。 忘れていたと言えば嘘になるが、覚えていたかと訊かれるとそうでもない気がする。 誕生日を祝う習慣など失って久しいから、彼がこんなふうに覚えてくれていたのは意外だった。 ふたりのそれに注ぎ終わると、男は再度一礼して戻って行った。 「もしかして、今日はそのために――?」 すると、ロイは苦笑した。 「正直、業務課の書類は意外だった」 今日の夕方に飛び込んできた書類の話をしている訳ではない。 「いえ、そういうことではなく」 自分の誕生日だから誘ってくれたのかと言えば、当たり前だろう?と彼は笑った。 「いちばんに君に言いたかったんだ」 ワイングラスを手にとる。 「誕生日おめでとう、リザ」 END *POSTSCRIPT* 大佐は一番におめでとうと言ってあげたいに違いないと言う発想から(笑) 何て言ったって彼は用意周到ですから← 店主は退役軍人だと言う設定があったりします(ほんとどうでもいい) 2006.03/ 2010.06 |