それから1週間は何事もなく過ぎた。 朝出勤し、実務をこなす。時には上官の指示を仰いで、書類を各部署へ提出し、休憩時間にはお茶を出す。他愛のない会話は、平和そのもの。平和なんて中央だけの話で、国境では内戦や戦争が繰り返されている――とは分かっていても、男女関係の噂や司令部内のゴシップと言うのは、何事もないように思ってしまう。 イシュヴァールを経験し、次世代の幸せを願った筈なのに決定的な何かが欠落している。 この7日で悟ったことはそれくらいで、失ったものは何一つ思い出せなかった。 「――――どうした?」 ロイが机を挟んだ向こうから声を掛けてくる。右手にはペン、左手には書類の束があった。 「いえ。何も」 もうひとつ、リザには気が付いたことがある。 「…本当に?」 「はい。ご心配なく」 彼が時々、哀しい顔をしていると言うことだ。 「そうか。なら、これを業務課に届けてくれ」 それは一瞬で、気が付くと元のそれに戻っているけれども。 「了解しました」 彼から書類を受け取って、踵を返す。 後ろめたさが拭えない。 執務室の扉のノブを握ったところで、時計が勤務時間の終了を告げた。 今日も、残業なしの定時上がりだ。記憶喪失の一件から、残業した覚えがない。 初めは、気を使われているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしかった。 ハボック達が揃って否定し、大佐が書類を溜めなくて助かると言っていた。 仕事してください!と一件の前は、毎日のように言っていたらしい。 大佐には中尉しかいないですからとブレダが言ったところで、すいませんと謝られた。記憶のことに関しては、相当気を使われているらしい。いいのよ、と言っても後ろめたいそれを引きずっていた。 これで、分かったことがある。 ドクターは言っていた。無理をさせないのが一番の薬だと。 帰り支度をして扉を開けると、彼が待っている。 「家まで送ろう」 彼は、人一倍、私のことを気にしている。 それを世間一般には、何というのかわからない。 ロイがリザを家まで送ろうと言ったのは、最近不審者が多いと警備強化の通知を受けたからだ。それがリザが病院から帰ってきた日の話で、夜道を女性一人で歩かせるのは危険だという話になった。 士官学校を卒業した時点で男女の差など認められない世界で働いていると思っていたのだが、そういう話ではないらしい。 「殺人鬼に遭遇でもしたらどうするんだ」 と言う言葉に負けた。 なるほど、応戦して捕えるなら複数の方が有利だ。 「君の愛犬、最近姿を見ないが元気か?」 不意にロイがそんなことを言うから、少し驚いた。 「ハヤテ号ですか?」 どうやら上官は愛犬の名前を知っているらしい。あぁそうか、きっかけはフュリー曹長が道端で拾ったことだと思い出す。 「元気ですよ。拾った時より、随分大きくなりました」 口元を緩めるリザに、ロイは一瞬言葉を詰まらせた。滑りそうになった言葉を飲み込んで、別のそれを吐き出す。 「そうか。司令部に連れてくると良い。家の中だけでは退屈だろう」 意外、と言わんばかりの顔をしているのが直ぐに分かった。 「良いのですか?」 「あぁ。私は君の躾を信用している」 うちの躾は厳しいわよ?と初めの品行方正は、司令部だった。彼は私の上司だったのだから、と納得する。 「―――信用、ですか」 私は彼を信用していたのだろうか。と考える。 すると、知らずのうちに呟いてしまっていた。戻そうと思っても最早どうにもならない。 「どうした?」 「い、いえ……」 リザは決まりが悪くなって視線を逸らした。 言っていいはずがない。彼が傷つくようなこと。 「君も私を信用していたのか、なんて考えたか?」 ロイは敢えてリザの顔を見なかった。彼女の胸中は分かっているのにもどかしいからだ。 女性の望みなら叶えられるのに、どうにも出来ない自分が情けないと思ったからだ。 「――――はい」 素直に頷いたリザに、微苦笑してしまう。 また、リザを困らせてしまった。 「たとえ記憶を失っていても、君は君だろう?」 私は君に惹かれている、と言う続きの言葉は、のど先で呑み込まれた。 リザが考えてしまうようなこと、言って良い筈がない。 「だから、君が無理をする必要はどこにもない」 ロイはそう締めくくって、リザの住む集合住宅へと足を進めた。 To be Continued... 2008.03 / 2010.09 |