I Remember You 06.



 鏡で見た顔は酷いものだった。
 寝不足、夜通し断続的に泣き続け、眼は驚くほど腫れていた。
 当然だろう。ロイから貰った連続休暇の殆どをそれに使ってしまったのだ。初日の午後からまともに食事も喉を通っていない。隠すも何も、ぎりぎりまで眼を冷やして腫れを抑えるしかなかった。
 だから、出勤早々、大丈夫ですかと部下たちに訊ねられた。
 心配しないでと言って気に掛けずに済む程度では無かったらしい。
 上官が視察で不在だったのが幸いと言える。
 ロイの顔を見たら、泣かずにいられる自信が無かった。普段通り、仕事をこなせるとは思えなかった。
 今で既にこの有り様だ。
「…中尉!ホークアイ中尉!」
 何度も呼ばれて初めて気が付く。
 気が付けば、手も止まっている。
 どうかした?と訊ねれば、言葉を何か呑み込んだようなのが分かる。
 どうかしているのはリザの方だろう。
「俺たち、お昼行きますがどうします?」
 時計を見れば、正午を過ぎている。
「キリの良いところまで片づけるわ。お誘いありがとう」
 断って、書類を見つめ直す。集中力の欠如が良く分かった。
(――――思い出せない果てに、本当に駄目ね)
 溜息を吐いて、立ち上がる。少し、頭を冷やした方が良いのかもしれない。
 そう思ったのは良いが、足に力が入らなかった。その感覚は、宙に浮いたよう、と言うのだろうか。床に付いて立っている感覚が無い。加えて、視界もおかしかった。ノイズの掛かったラジオを映像化したら、こんな感じだろうかと思う。身体を支えようと机に手を伸ばすが空振りして―――リザはその瞬間、意識を失った。

 次に、気が付いたときには、ベッドの上だった。
 感じる点滴の痛みから、そこが医務室だと悟る。
「気が付かれました?」
 ハボックがカーテンを開けて訊ねてくる。ええ、と頷いたときに頭が一瞬ふらりとしたが、意識を失った時と比べたらなんてことはなかった。
「無理せんでください。今は安静にした方が良いってドクターが」
 起き上がろうとするリザをハボックは制止した。
 倒れた際に頭を打ち、脳震盪を起こして失神したと聞かされる。軍医は今、不在らしい。
 内戦中は、終日食事を摂れないこともままあったし、精神的に病んでいたこともあった。
 それと比べれば、雲泥の差である筈なのに、衝撃は予想以上に大きかったらしい。
 自分が立てた仮定は正しいと言う確信が強くなる。
 そうでなければ、一日半食事が喉を通らなかったくらいで倒れるなんて在り得ない。
「大丈夫ですか?」
 ゆっくりと身体を起こすリザをハボックが気づかう。
「…大丈夫よ」
 そういうのは、無理をしている証拠だ。ここ最近の彼女を見れば、簡単に分かる。
「―――俺で良かったら、話聞きますが」
 黙考してハボックが言うと、リザはきょとんとして、虚を突かれたようだった。
「分かってないとでも思ってましたか?」
 その口調は普段のそれとは違う。
 リザは気付いていなかったと言う事実に、複雑な感情を抱いて肩を竦めた。
「勤務中の様子を見てりゃ分かりますよ。ずっと何かを考えている――何かって、中尉が考えることと言ったら粗方予想はつきますが」
 泣いていたような目の腫れ。思いつめたような表情。
 気丈に振る舞っていても、リザは一件からこの方ずっと無理をしている。
 だから、彼女が失った記憶の話をハボックは一切しなかった。上官に言われずともそのつもりでいた。
 リザは、戸惑ったが、やがて口を開いた。
「――――どうしても思い出せない」
 ハボックに語ると言うよりは、ひとり言に似ていた。彼が記憶を取り戻す方法を知っている訳ではないことを、リザは分かっているからだ。
 やっぱりな、とハボックは思う。彼の推測は当たっていた。
「何がきっかけで、何を思い、下で働くようになったのか。何があったのか。未だに何も」
 リザは掛け毛布をきゅっと握る。無意識にそれをしてしまっているのは、思いつめている証拠だ。
『マスタングさんは、あなたが自然と思い出すことを願っている筈だから』
 彼の気持ちを慮ってくれたグレイシアの言葉を思い出す。
 それでも、訊ねずにはいられない。
 もう、これ以上、彼を傷つけたくないから。自分の無知さが嫌だから。
「少尉。私と大佐は、単なる上司と部下と言う関係では無いのでしょう?」
 ハボックは答えない。彼女の辿りついた答えに、そうですよ、と答えてしまえば互いに楽なのだろうが、それは出来なかった。
「答えて!!」
 私事で声を荒げるなど中尉らしくもない、とハボックは思う。
 次の瞬間には、無意識にリザを抱きしめていた。
「――――いっそ忘れませんか」
 彼もまた、感情を抑えることは出来なかったのだった。


To be Continued...

2008.03 / 2010.09