鏡で見た顔は酷いものだった。 寝不足、夜通し断続的に泣き続け、眼は驚くほど腫れていた。 当然だろう。ロイから貰った連続休暇の殆どをそれに使ってしまったのだ。初日の午後からまともに食事も喉を通っていない。隠すも何も、ぎりぎりまで眼を冷やして腫れを抑えるしかなかった。 だから、出勤早々、大丈夫ですかと部下たちに訊ねられた。 心配しないでと言って気に掛けずに済む程度では無かったらしい。 上官が視察で不在だったのが幸いと言える。 ロイの顔を見たら、泣かずにいられる自信が無かった。普段通り、仕事をこなせるとは思えなかった。 今で既にこの有り様だ。 「…中尉!ホークアイ中尉!」 何度も呼ばれて初めて気が付く。 気が付けば、手も止まっている。 どうかした?と訊ねれば、言葉を何か呑み込んだようなのが分かる。 どうかしているのはリザの方だろう。 「俺たち、お昼行きますがどうします?」 時計を見れば、正午を過ぎている。 「キリの良いところまで片づけるわ。お誘いありがとう」 断って、書類を見つめ直す。集中力の欠如が良く分かった。 (――――思い出せない果てに、本当に駄目ね) 溜息を吐いて、立ち上がる。少し、頭を冷やした方が良いのかもしれない。 そう思ったのは良いが、足に力が入らなかった。その感覚は、宙に浮いたよう、と言うのだろうか。床に付いて立っている感覚が無い。加えて、視界もおかしかった。ノイズの掛かったラジオを映像化したら、こんな感じだろうかと思う。身体を支えようと机に手を伸ばすが空振りして―――リザはその瞬間、意識を失った。 次に、気が付いたときには、ベッドの上だった。 感じる点滴の痛みから、そこが医務室だと悟る。 「気が付かれました?」 ハボックがカーテンを開けて訊ねてくる。ええ、と頷いたときに頭が一瞬ふらりとしたが、意識を失った時と比べたらなんてことはなかった。 「無理せんでください。今は安静にした方が良いってドクターが」 起き上がろうとするリザをハボックは制止した。 倒れた際に頭を打ち、脳震盪を起こして失神したと聞かされる。軍医は今、不在らしい。 内戦中は、終日食事を摂れないこともままあったし、精神的に病んでいたこともあった。 それと比べれば、雲泥の差である筈なのに、衝撃は予想以上に大きかったらしい。 自分が立てた仮定は正しいと言う確信が強くなる。 そうでなければ、一日半食事が喉を通らなかったくらいで倒れるなんて在り得ない。 「大丈夫ですか?」 ゆっくりと身体を起こすリザをハボックが気づかう。 「…大丈夫よ」 そういうのは、無理をしている証拠だ。ここ最近の彼女を見れば、簡単に分かる。 「―――俺で良かったら、話聞きますが」 黙考してハボックが言うと、リザはきょとんとして、虚を突かれたようだった。 「分かってないとでも思ってましたか?」 その口調は普段のそれとは違う。 リザは気付いていなかったと言う事実に、複雑な感情を抱いて肩を竦めた。 「勤務中の様子を見てりゃ分かりますよ。ずっと何かを考えている――何かって、中尉が考えることと言ったら粗方予想はつきますが」 泣いていたような目の腫れ。思いつめたような表情。 気丈に振る舞っていても、リザは一件からこの方ずっと無理をしている。 だから、彼女が失った記憶の話をハボックは一切しなかった。上官に言われずともそのつもりでいた。 リザは、戸惑ったが、やがて口を開いた。 「――――どうしても思い出せない」 ハボックに語ると言うよりは、ひとり言に似ていた。彼が記憶を取り戻す方法を知っている訳ではないことを、リザは分かっているからだ。 やっぱりな、とハボックは思う。彼の推測は当たっていた。 「何がきっかけで、何を思い、下で働くようになったのか。何があったのか。未だに何も」 リザは掛け毛布をきゅっと握る。無意識にそれをしてしまっているのは、思いつめている証拠だ。 『マスタングさんは、あなたが自然と思い出すことを願っている筈だから』 彼の気持ちを慮ってくれたグレイシアの言葉を思い出す。 それでも、訊ねずにはいられない。 もう、これ以上、彼を傷つけたくないから。自分の無知さが嫌だから。 「少尉。私と大佐は、単なる上司と部下と言う関係では無いのでしょう?」 ハボックは答えない。彼女の辿りついた答えに、そうですよ、と答えてしまえば互いに楽なのだろうが、それは出来なかった。 「答えて!!」 私事で声を荒げるなど中尉らしくもない、とハボックは思う。 次の瞬間には、無意識にリザを抱きしめていた。 「――――いっそ忘れませんか」 彼もまた、感情を抑えることは出来なかったのだった。 To be Continued... 2008.03 / 2010.09 |