I Remember You 08.



 昨日何度も忠告されたが、それでも休むわけにはいかなかった。
 休暇を貰ったばかりだった、休めば周囲に負担をかけて心配させてしまうと言うことも勿論ある。だが、それ以上にひとりでいればロイのことばかり考えてしまう。戻らない記憶と自分の無知な振る舞いに唇を噛みしめて、また泣いてしまうから、休んではならないと言い聞かせた方が楽だった。
(涙なんて枯れてしまえばいいのに)
 そう思ったのは、泣く資格など無いと思ったからだ。
 思い出せなくて、己の行動を悔いて泣くなど、人を傷つけてしまってどうして許される。
 だから、自分が泣かないためには、司令部にいた方がよかった。
 コートを羽織り、留守番を愛犬に頼んで扉を開ける。
「―――少尉?」
 煙草も吸わず、彼は待っていた。
「そんなことだろうと思いましたよ」
 肩を竦めて、ハボックは言ったのだった。

 司令部に向かって、ハボックと並ぶリザの隣をブラックハヤテ号が歩く。
 先走ったり、周囲の誘惑に負けたりしないのは、リザの躾が行き届いているからだ。司令部でも大人しいので、いずれは軍用犬に、と言ったら文句は出ない。
 リザは、ハヤテ号を留守番させるつもりだったのだが、ハボックに提案されて、連れて行くことにした。
「あいつもいい加減慣れないと、万事に叱られますって」
 その代名詞は、犬が来ると全力で逃げるブレダだ。彼の犬嫌いは、知り合ったときからだとハボックは話してくれた。
 ハボックもそんなことを言っているが、「炒めて食うとうまいらしい」と言う発言のせいで飼い主候補から外されたひとりだ。
 なんだかそれが可笑しくて、リザはくすりと笑った。
「顔色、昨日より良いみたいですね」
 タイミングを計って、ハボックは本題を切り出した。同僚には悪いが、犬の話は単なる話題づくりに過ぎない。
「おかげさまで。昨日は取り乱してしまって、ごめんなさい」
 答えてとあれほど語気を強めて言ったのは初めてだった。ハボックに問いつめるつもりは毛頭無かったのに、どうかしていたとリザは思う。仕事上ならまだ兎も角、プライベートの話題でそれなど。
「まぁ…それは。倒れて情緒不安定だったと理解してます」
 敢えてこんな言い方をしたのは、リザに罪悪感を抱かせないためだ。驚いたのは事実だと自分に言い訳を付ける。
 それに、切り出す良いきっかけになった。
「―――少尉」
 続く言葉は分かっている。
「何ですか」
 斜め下から感じる視線を知りながらも、ハボックは前を向いて歩いた。
「―――その後のことだけれど」
 彼女には珍しく歯切れが悪いのは気の所為ではないだろう。
 リザをこれ以上困らせたくなかったので、ハボックは肩を竦めて、そのままの意味だと答えた。
「俺を男の対象として見てくれないかって意味です。―――中尉、辛くないですか?」
 それにリザは答えることが出来なかった。辛くないと言えば嘘だけれど、それを自分が言っていい筈など絶対にないからだ。
「田舎に、東に帰りませんか中尉。中尉を不自由させないくらいの稼ぎはあるし、中尉のためならもっと働きますよ」
「―――」
 リザは言葉が出なかった。ロイのことを思い出さなければと思っても思い出せなくて、その言葉に縋りたいと言う気持ちが否定出来ないからだ。
 ややあって、ハボックの場を和ます溜息。ここで返事を出せと言うつもりはない。
「そういう覚悟もあるってことです。行きましょう」

*
 
 午後になって、地方視察に出掛けていたロイがそれを切り上げて戻ってきた。予定ならば、今日いっぱいは現地視察で、明日の正午過ぎに戻る事になっていた。
 本人曰く、予定より早く終わったと言うことだったが、相当無理をしたと言うのは明らかだった。将官でも上の階級となれば話は別だが、佐官――とりわけ彼のような年齢であれば、日程はぎりぎりで組まれることが多い。今回、日程の子細は知る由もないが、タイトな予定であったことはほぼ間違いない。それが上層部からの紹介状だったからだ。
 それを更にきつくして帰ってきたのは、リザのことが関係しているのだろう。連絡を受けた際にそのことを話した上官の声は、動揺が目に見えるようだった。
 軽い症状だと言っては置いたが、記憶喪失の一件に続くこれをロイが軽視するとは思えなかった。
「中尉、大丈夫なのか?」
 帰ってくるなりこれだ。話した時から顔を合わせたら聞くだろうとは思っていたが、帰った瞬間の有り様に、ハボックは苦笑した。
「はい。ご心配をおかけしました」
 リザは、ロイからコートを預かってロッカーに仕舞う。
 その間、一度も目を合わせられなかったのは、自分らしく振る舞う自信がなかったからだ。
「…そうか」
 返事に間があったのは、ロイがそれに気付いていたからかも知れない。
「お茶、お入れしますね」
 このまま仕事につくのは気まずくて、リザはそう言って執務室を出た。
「――――何かあったのか?」
 その問いの先は、愛煙家の彼。
 ロイは、直感的に気付いていた。
「さあ?」
 肩を竦めた返事は、昔からだ。でもそれは、どこか違う感じがして、ロイはリザを追い掛けて部屋を出ていった。

 きっと気付かれただろう、とリザは薬缶を火に掛けながら思った。
 視線を合わせないそれを、ロイが体調不良を隠すものだと思ってくれたのならばまだ救いだ。
――――俺を男の対象として見てくれないかって意味です。
 ハボックにそんなことを言われて、ロイの顔を見ることが出来なかったなどと言えはしない。私情を仕事に持ち込むなど言語道断にも程がある。
 だが、頭から離れないのもまた事実だった。彼を男の対象として見たことがなかったからだ。
 上司受けは良くないけれど、根は真面目で仲間思い。士官学校は成績ぎりぎりで卒業だったとからかわれるが、それは学力面の話で実技では実力者だったとことも知っている。
 同僚として、ロイの下で働く人間として、ハボックのことを説明することは出来ても、それ以上のことで考えたことは無かった。
――――中尉の泣き顔なんて見たくないんです。笑ったほうがずっといい。
 その言葉が嬉しかった――救われた気持ちだったことを否定できない。思い出さなければならないと言い聞かせてきたのは自分自身だけれど、今のままで良いとどんな言葉よりも説得力があった気がして。甘えても良いと言って貰えた気がして。
 彼のことを考えると、そんなことは許されない筈なのに、それでも、差し伸べられた手を掴みたくて。そう思っている自分がいて。

 気が付いたら、涙が零れていた。慌ててそれを拭う。
「――――馬鹿ね。本当に…」
 泣く資格なんてありはしないのに。
 長く息を吐いて深呼吸。私情を仕事に持ち込んではいけないと、頭から振り払う。
 リザはそれを、独り言だと思っていたが、ロイが、扉の向こうでそれを開けられずに聞いていたのだった。



To be Continued...



2005.01 / 2010.09