I Remember You 09.



「―――大佐は?」
 リザがお茶を用意して執務室に戻ると、ロイの姿はなかった。
 訊ねると、お手洗いじゃないですかとフュリーが答えた。
 そう、と直ぐに合点して、執務机に向かう。彼の言葉が正しければ、直ぐに戻るだろう。
 見た目より用途を優先したカップは、お世辞にも見栄えが良いものではないが、リザはそれを書類から離れた位置に置いた。小さな皿には、角砂糖がひとつ。
 東方司令部名物のまずい茶―――なんて揶揄されるが、中央司令部のそれも親戚のようなもので、彼らが口にするそれは、あまり味のいいものとは言えない。
 ひとりひとりに砂糖とミルクの要望を訊く。それと一緒に手渡した飲み物が普段と違うことに誰もが気付いたようだ。
「中尉、どうしたんですかこれ」
「来客用…ですか」
 飲む前から気付くほど、色も香りも違う。ブレダが疑ったように、来客用は少し美味いが、日常で飲んで良い筈もない。
「まさか。でも支給のものでは無いわね」
「へー。確かに美味い」
 好みに甘みを付けたそれを啜ってハボックが一言。
「と言うと?」
「アパートの近所の店で頂いたの。私だけでは消化しきれなくて、それで」
 リザのアパートと言うと、中央司令部の近くのはずだが、ブレダは場所が思い当らなかったらしく、へぇと相槌を打った。
「どの辺りですか?」
 これは今朝、リザの自宅まで迎えに行ったハボック所以の質問かもしれない。
 だが、それに答えたのは、リザではなくロイだった。
「メイフラワー通りの端だろう。小さな店だから、気付かないのも無理はない」
 知らぬ間に執務室の扉が開いていて、ロイがいたから誰もがびっくりした。
 やがて、合点したようにぽんと手を打ったのはファルマンだ。
「経営しているのは中年の女性。女性の出身地が茶の産地のため、比較的安価に購入できる。そのため、一部ではかなりの評判である」
 まるで辞書を読み上げるようなのは、いつものことだ。
 ロイは頷いて、執務机に座る。テーブルに置かれた砂糖を入れて、紅茶を啜る。
 平静を装うのに必死で、とても不思議なことである筈のことに、気付きはしなかったのだった。

*

「聞いたわよ、断片的な記憶喪失って」
 ウェイターが下がったのを確認して、レベッカは話を切り出した。
 彼女とリザは、士官学校からの知人だ。今は中央と東方にそれぞれ勤務しているが、都合が合えば、会うことも多い。
 今回は、司令部で見かけて声を掛ければ、グラマン中将の使いだったらしい。
「明日帰るの。今日の夜空いてる?」
 そんなわけで、こうして夕食に来たのだが、話の内容にびっくりした。
「―――えぇ」
 表情が曇ったのが自分でも分かった。司令部での彼を思い浮かべたからだ。
「どうしても思い出せない。大佐のことが」
 最後の方は、擦れていたと思う。無理強いはされないけれど、時々無意識に見せるその表情は、やはり辛かった。
「選りに選って直属の上司、ねぇ…」
 あぁ、司令部で噂になっている訳じゃないわよ。ある筋からちょっとね、と彼女が付け加えたのは、ウェイターがすぐ傍を通りかかったからか。
 小さな所に気を使ってくれているようだった。
「それで、どうなの?」
「―――どうしたら良いか分からない」
 君は君だからと何ひとつ不満を言わず、毎日送ってくれる。その優しさが、記憶を失った部下とは思えなくて戸惑ってしまう。何かきっかけがあったのだろうが、一切思い出せない。思い出さなければならないのに、本当に何も。
 掻い摘んで話すと、慰めるでも励ますでもない言葉が返ってきた。
「リザはどうしたいの?」
 同情や叱咤を期待していた訳ではないが、意外だった。
「どう、って…」
 忘れたままで良いじゃないですか。辛いだけでしょう。笑った方がずっといい。
 ハボックの言葉が頭を過ぎる。
 マスタングさんは、あなたが自然に思い出すことを望んでいる筈だから。
 グレイシアに言われたことを思い出す。
 思い出さなければいけないとか、辛いとか、哀しいとか、願いとか―――どれが自分の感情なのか分かっていないことに、リザは気が付いた。
 考えることに必死で、何も言われてなどいないのに一人義務感を感じて。
 泣くのも、辛いのも、リザがひとり空回りしていたからだ。
「義務感なんて感じる必要ないじゃない。マスタング大佐達が何も言わないのは、そういうことでしょう?」
 そう言ってレベッカは、スプーンを口に運ぶ。
 思ったより良い味ね、と彼女のリストに好評価が記されたようだ。
 何も言わないのは、リザの答えを待っているからだ。
「―――――」
 リザは考える。周りのことを抜きにして、自分はどうしたいのか。
「…思い出したい」
 その答えに、レベッカは微笑んだ。
「それが答えなんじゃない?」
 手を挙げてウェイターを呼ぶと、飲み物を注文した。
 砂糖とミルクの有無を訊ねられて、前者と答える。
「変わったわね、あなたも」
 ウェイターが戻ったところで、レベッカは言った。
 彼女としては、世間話のつもりだった。
「今でも半々くらいよ」
 リザは、答えてはっとする。
 必死に記憶を辿る。
「…どうかした?」
 思い出したのは司令部での出来事。
 何故、あの時自分は、角砂糖だけを置いたのか。
 戻ってきた時点で好みを訊ねる、或いは、ミルクも一緒に置くべきだった。
 普段は、関係無しに飲むような飲み物だから、知る機会は少ない。
 あれほど思い出せなくて悩んでいたのに、その有り様に苦笑する。
「灯台もと暗しってことかしらね、って」
 レベッカが首を傾げたところに、飲み物が運ばれてきた。



To be Continued...



2005.01 / 2010.09