|
悪逆皇帝。魔王。悪魔。一体どれだけの代名詞で語り継がれていくのだろう。 神聖ブリタニア帝国第99代皇帝、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。 帝国の歴史を語る上では外すことの出来ない人物だ。彼の成した業績は悪い意味で大きかった。 だが、その一方で、多くの者は何故気付かないのだろう。 彼の死から、世界のあり方が変わったということに。彼の死に意味があったということに。 それは彼が望まなかったからか、それともゼロが現れたからか。 * 悪逆皇帝は死んだ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは死んだ。 歴史に悪行だけを残して。かの虐殺皇女の名前を忘れさせるほどに彼は多くの人間を殺した。その手で、あるいはその口で。纏っている純白の衣裳とは対照的に、彼自身は血で塗れていた。 ルルーシュは、自分があのような死に方をしたことを当然だと思っていた。否、今でもそのように思っている。ギアスと言う絶対遵守の力を使い、人の意思を捻じ曲げ自身は手に掛けずとも言葉でそれを命じたりした。当然それに対する代償は受けなければならない。それがあの結果だ。全ての憎しみを背負い、空前絶後の悪逆皇帝として悪名を馳せて死んで行く。それが報いと言うものだ。 しかしそれは、現世に未練が無いということでは無い。寧ろルルーシュには気がかりなことがいくつもあった。 枢木スザク。彼にとって初めての友達で、親友で、最悪の敵。だが、それゆえに互いに理解出来る部分があって、だからルルーシュは彼にゼロの仮面を渡した。英雄としてのゼロ。黒の騎士団の幹部を除けば、ルルーシュがゼロであったということを知らない。人々が話し合いのテーブルに付く上で、方向性を守る存在が必要となる。その役割を、ゼロを、ルルーシュはスザクに託した。彼だからこそ託すことが出来た。だが、あいつは頭で考える前に本能で動くからな、と思う。しかし彼の傍にはゼロの仕えよと命を受けたブレーンがいる。心配など愚問か、と考えてみてルルーシュは思った。 ナナリー。彼女は自分を恨んでいるだろうか。ギアスを使い、世界を手に入れ、人を従わせて。自業自得だと思っているだろうか。だが個人の感情は抜きにして、ナナリーがそう思っているのならばそれで良かった。彼女が自分を恨んでいるということは、世界が自分を憎んでいることの裏付けだ。最愛の妹の前で仮面を被ることが出来たのならば、他の人間の前で悪逆皇帝を演じ切れたと言うことだ。今更ながら大したコンプレックスを持っていたと思う。願うのはナナリーの幸せ。兄のことは忘れて、しあわせに。 ……愛しています、というナナリーの声が聞こえた気がするのは、まだ彼女に愛されたいとどこかで思っているということなのだろうか。 ――――そこまで来てどうして気付かないのだろう。 どうしてそのようなことを考えているのだろう。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという人間は死を迎えたと言うのに。公の場でゼロと言う英雄に剣で一突きにされたというのに、何故。 …あぁ、これがCの世界というものか。この世界でも思考は働くのか、かつて見たそれとは随分違う気がするが。否、これは。Cの世界では無いのかもしれない。空前絶後の悪逆皇帝は、その場所に行くことさえ赦されなかったのかも知れない。これが俗に言う、地獄、か。 兎にも角にも、生前頭脳派として知られていたルルーシュにはひとつの選択肢が欠落していた。大半の人間であればそれはごく当たり前のことかもしれないが、身近な人物にそれが居たのだから気付くべきだっただろう。 ルルーシュははっと目を覚ました。光源が見つからず、また目が慣れないことも重なって周囲が確認できない。 だがその一方ではっきりしていることがあった。 「Cの世界では無い……?」 辺りは真っ暗で、音と言う音が存在しない。あらゆるものを呑み込んでしまいそうなその色は、不気味で恐ろしくすらあって。いづこなのか今のルルーシュには推測することすら出来ないが、ある筈のない感覚が彼にはあった。 「その通りだ」 冷やかささえ感じられるその声にルルーシュは覚えがあった。声の主の名前も知っていた。彼女は長い年月を生き、ルルーシュにギアスという力を与えた共犯者。 ルルーシュの前に鮮やかな緑髪の少女が現れた。C.C.―――名前さえも忘れたと言う彼女はそう名乗っている。 漸くルルーシュの瞳も暗さに順応したようで。暗くどんよりとした、じめじめとしたこの空間はどこかの洞窟なのか、と結論付ける。 視線が少女から己の身体に移る。やはり先ほど感じた感覚は嘘では無いようで。指は意思どおり正確に動いていて、石畳の床を伝える感覚が確かにあった。視覚もこうして―― ルルーシュはまだ最期の、白を基調とした皇族服を着ていて、それにはべっとりと、否、装飾や布地以上に血が衣装を支配していた。それには剣が貫かれたであろう穴も残っている。ルルーシュにとってそれは確かに記憶の中に存在するものではあった。しかし、である。 「枢木スザクもあのジェレミアという男も―――お前をここに運び出すことが精一杯だった」 彼女のそれに、至極当然なことだとルルーシュは思った。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは悪意と独裁の象徴。それを印象付けるために多くの人間を犠牲にしたと言う自覚はあったし、それ故に象徴たる己が死んだからこそゼロレクイエムは達成されたのだと思う。世界は明日を迎える道が拓かれ、良い方向へ向かう―――筈だった。 そこまで来て、ルルーシュはやっと気が付いた。どうして生きている?確かにあの時俺は死んだはず、と心 無しに呟く。ならば、ゼロは…ゼロレクイエムは。 「そうだ。確かにあの時お前は死んだ。心配するな―――ゼロレクイエムは成就した」 悪逆皇帝は死んだ。だが、ルルーシュは生きている……?となれば、可能性はひとつだ。 「俺がコードを、継承…した……?」 * 蝉の鳴く夏の日。1人の少年が強い日差しの中を歩いていた。……いや、少年と言う表現は少し違っているかもしれない。彼が生前に成した業績は、17や8の少年少女がとても成し遂げられるものでは無い。文字通り母国の破壊と創造を遣り遂げた男――ルルーシュは、向日葵畑を横切ると木々の茂った木陰に入った。気温は然して変わらないが、直射日光を回避できたことだけでもルルーシュには有り難かった。かつての共犯者がそれだったので歴代継承者の同時期よりは自身の身体についてルルーシュは知っているのだろうが、彼のように体力馬鹿では無かったし、運動部に所属していた訳でもない。兎に角、ルルーシュは比べるまでもなくインドア派であり、昔から日光をさんさんと浴びる人間では無かった。目的地への足はそのまま、懐かしいその景色に心なしか9年前の、幸せな夏の終わりを一方的に告げられたあの日のことを思い出していた。 今、思えば。 全てはあの日から、否、あの夏が始まった日から、決まっていたことなのかもしれない。 その場所にたどり着くとルルーシュは空を見上げた。 サクラダイトの最大埋蔵量を持つ、富士鉱山。同時にこの国で最も高いこの山をルルーシュはよく知っていた。ルルーシュの切り取ったその山の写真にVTOL機の姿はない。当時はまだ試作段階であったナイトメアの姿もない。 ルルーシュはゆっくりと息を吐いた。自身の目で確かめるまで不安だったのかもしれない。彼女――C.C.の言葉が信じられなかったという訳ではないし、ルルーシュ自身も纏っていた白い衣装がべっとりと血塗られていたことからも分かってはいた。しかし百聞は一見に如かず、という。 (世界が少しでも良い方向に進んでいるのならばそれで良い。) 過ぎ去りし日に囚われること無く、今日という日に固定されることも無く、 未知ではあるが限りない可能性を持つ明日を選んだ価値が、そこには。 ルルーシュは引き返そうとした。踵を返したその時―― 「ルルーシュ……?」 その声の主を彼はまた、知っていた。 葉の茂る木の幹に背中を預け、ルルーシュとスザクは腰を下ろした。絶え間なく鳴き続ける蝉の声は、鬱陶しいと言うよりはしんとした無音のようであった。 彼らは互いに記録上死んでいて。片方は本当に死んだはずで、もう片方は死にたいのに死ねなくて。 計画を、ゼロレクイエムというシナリオを描いたのは紛れもなく彼らで。世界から消えた、はじき出された存在。それを誰よりも知っている筈なのに。否、だからこそなのか。 自然に囲まれた場所でふたり、暫く黙って木の葉の間から見える空を眺めていた。 「驚かないんだな」 長く続いたそれを破ったのはルルーシュの、呟きにも似たそれだった。 死んだはずの、己の手で殺したはずの人間が生きていて。 「あれだけのことがあれば、何も」 本来、人が持ち得ない力――ギアス。ギアスを与え、不老不死の身体を持つC.C.やV.V.の存在。 人間の集合体であるCの世界、神……それにも干渉しうるシステム。ラグナレクの接続。 彼らはあまりにも、現実とは掛け離れたものを見過ぎてしまった。知り過ぎてしまった。 それゆえに、スザクの言葉は重みと説得力があった。 「そう、だな」 他人にコードを押し付けない限りそれが己から消えることが無いと仮定するのならば、ルルーシュが偶然にしろ継承していても不思議な話では無い。 そうして二人はまた黙り込んだ。それは昔を思い出しているのか、それとも話す言葉が見つからないのか。 生温い風が、彼らの髪を揺らした。 「―――ルルーシュ」 それをきっかけにしたように、スザクは口を開いた。低い、だけど怖さは兼ね備えてない声で。 「君は俺を恨んでいるかい?」 彼の視線は地に生える雑草に向けられている。預けた背中はそのまま、ルルーシュは空を仰いだ。 「お前こそ。俺を恨んでいるか?」 自分の意思を捻じ曲げ、生きることを強いて。最も忌み嫌ったゼロという仮面を被らせ、ひとなみの幸せでさえ世界に捧げと言って。 「……。俺は君を殺した。それで全てはゼロだ」 ゼロ。彼らの間でこれ以上に多くを語る言葉は他にあるだろうか。 「あぁ、全てはゼロ……無だ」 「でも君は俺のせいでコードを」 コードを発動するには、一度致命的な損傷を負わなければならない。かつてC.C.もシャルルもそうだった。 だからルルーシュも、あの貫かれた剣がきっかけで。スザクはそう言いたかったのだろうが、ルルーシュはそれを制止した。 「人はいずれ死ぬ。遅かれ早かれコードは発動していた」 ただその時期が早くなっただけの話。その傷を負わせたのが偶然、スザクであっただけの。 ――――偶然。彼らが出会ったことは限りなくそれに近い必然かもしれないが。 運命に翻弄され、あの時傍にいて、信用出来て、任せられる人間としてルルーシュが選んだのがスザクだった。それは偶然。 それに彼を選んだのは紛れもなくルルーシュ自身。彼に責任はひとつもない。 「なぁスザク、どうして俺は生きているのだろうな」 その言葉にスザクは僅かに肩を震わせた。だがルルーシュはその答えをスザクに求めるつもりは毛頭無く、その証拠にルルーシュの声音は柔らかいものだった。 人の意志を曲げ、時にはその口で手で他人の命を奪ってきた人間がどうしてこれほどまで生にしがみつくのか。それはギアスという力に手を染めたことに対して神が与えた代償か。それとも、 たったひとりの友にさえ、それを使ったと言う罰か。 ルルーシュにも分からない。 「――――お前は責任を感じているのか」 この俺に、という言葉は心の中に仕舞っておく。 お前に死ねないと言う呪いをかけ、大切な人を奪い、ひとなみの幸せでさえも棄てさせた俺に。 「そんなものを感じる必要は、」 無い、と言うルルーシュの言葉はスザクのそれに遮られた。 「俺は君に"世界を裏切り、世界に裏切られた"人間だと言った。君の願いは叶えてはいけないとも」 「………。」 怒りに支配されて互いに銃を向けあったあの時。 きっと、忘れることはないのだろう。 「そして君は、俺にギアスを掛けた」 ――――生きろ。 ――――ひとなみの幸せも世界に捧げて貰う。 「それは俺にとっての罰だと言った」 枢木スザクとして生きることはもう無い、と。流れる涙を拭うように、仮面をそっと触れて。 「俺まで君に罰を与えてしまった」 それがコードだとスザクは言っているのだろう。 殺すまでルルーシュを赦せないと思っていたけれど、それは違っていて。 心のどこかで殺したくないと思っていて。生きて欲しいと思っていて。 それは矛盾している。だからずっと見て見ぬふりをしてきた。 「だから君が生きているのは、俺がルルーシュに掛けた呪いなのかもしれない」 文末の声は擦れていた。無意識のうちに思っていたことを吐きだしてしまっていて、最後の言葉を結ぶとき本当に良かったのかと言う恐怖にも似た感情が襲ったのだ。 だがその一方で、ルルーシュは僅かに笑った。 「――――お前から俺への、か。そのギアス受け取ろう」 だからスザク、約束を果たせ。 「イエス・ユア・マジェスティ」 差し出された拳にスザクはそっと己のそれを重ねた。 END |